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学校の思い出

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中国の高校はだんだん日本の高校の影響を受けて、修学旅行や、学園祭なのど行事を始めっています。私は高校生の時に二つの修学旅行にしたことがありました。 前者 は西安市に行って、兵馬俑と華清池を見学し、 後者 は湖北省の色々な場所に行きました。本当は 行っても行かなくでも いい活動でしたが、クラスメイトと友達と一緒に一週間の旅行はとても楽しから行かなかった人はほとんどいませんでした。いつもの授業や運動などの校内生活と違って、学校生活 以外 のクラスメートと先生と過ごし時間は強く印象に残しました。 兵馬俑

個人学習プロジェクト中間報告

個人学習プロジェクト中間報告 *タイプで、「だ体・である体」で、1,200字以上書く。 タイトル「日本のバブル空気」 起 (introduction):トピックの説明、選んだ理由 文化は経済と繋がっている。日本文化を学ぶために、日本の経済も勉強すべきだ。1980年代から日本の経済は急速に発展し、人々の生活も大きく変えた。だから、そのバブル期を勉強して、日本社会と日本文化をさらに詳しくなってほしい。 承 (content 1):今までの成果(調べたこと、分かったこと、学んだこと、など) まず、バブル期の原因を調べた。1985年のプラザ合意のきっかけに、円高が速く進んだ。景気を支えるために、日本銀行は金利を下げた。その結果、お金が借りやすくなり、投資が増えていった。そして、「まだ景気はよくなる」という人々の楽観的な考えが広がり、バブルはさらに大きくなっていった。 バブルは人々の生活に変化を与えた。例えば、文化面では、まず音楽が挙げられる。ドライブのBGMとして、シティポップが人気を集めた。FMラジオで新曲をチェックし、CDが次々とヒットした時代であった。 そして、メディアにも影響があった。家庭ではテレビが中心となり、家族で楽しむ番組が人気を集めた。同時に、ファミコンの流行によってゲーム文化が一気に広がった。企業は派手なCMを使い、消費と娯楽が強く結びついていった。 ファッションの面では、百貨店でのデートが一つのスタイルであった。ブランドバッグは実用品というだけでなく、ステータスの象徴でもあった。この時代は「見せる消費」という言葉のように、雑誌や広告で最新のトレンドを確認し、それに合わせて行動する人が多かった。 夜の文化も大きな特徴であった。週末にはディスコで踊ることが一つの定番となっていた。また、カラオケが広まり、友だちや同僚と集まる機会も増えた。そして、終電ぎりぎりまで遊ぶような都市生活が、当たり前になっていた。 食の面では、少し高級なレストランに行くことが、特別なことではなくなった。同時に海外旅行ブームが起こり、短期旅行も普通なものになった。出発前にはグルメ雑誌で情報を調べ、帰国後にはおみやげを配る文化も広がった。このように、体験そのものを楽しむ消費が強くなっていった。 若者と仕事の面を見ると、就活では売り手市場の雰囲気が強い時期であ...

ゲームセンター

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     好きなポップカルチャーはゲームセンターです。小学生の時週末に時々デパートの中のゲームセンターに行きました。2ドル に当たる コインを買って、それぞれのゲーム機に払われました。当時あまりゲームをする機会がない私にとって、めちゃくちゃ楽しでした。     ゲームセンターでは色々なゲームができます。激しいシューテイングゲームや、レースゲムだけでなくで、ダンスや、UFOキャッチャーなどのリラクスできるゲームもたくさんあります。 その上 、ゲームで高い点数を目指すめるプロ さえ 楽しめるので、ゲームセンタで集まる人はいつも多いです。     今はほとんど家でコンピュータゲームをするので、ゲームセンタにはもう行きません。そして、アメリカのゲームセンターは日本と中国より小さくて、ギャンブルのゲーム機が多過ぎるから、あまり好きじゃないでず。

清明

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          昔は、中国人が一年間を二十四分にして、「二十四節気」になります。一年中に二十四の気候があるという意味です。そして、「清明(せいめい)」は二十四節気の第五です。中国人はその日に先祖のお墓に参り、お墓を掃除して、黄色い紙で作った死んだ人が「地府」で使うお金を焼きます。こうすると、先祖は別の世界でそのお金がもらえるそうです。宗教的な行事ではありませんが、「地府」、死んだ人のお金は中国の伝統的な「道教」と繋がっています。           今は、「清明」はお墓参りの日だけでなくて、春の遠足の日です。しかし、その日に旅行する人が多過ぎで、私はほとんど家にいました。
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  1)ジャシン・リーです。中国の北京から来ました。専攻は数学です。暇の時はゲームをします。旅行や料理、歌でも好きです。   2)冬休みには中学校の友たちと「mammoth cave」というナショナルパークに行きましった。地下のとてもなかい洞穴で、とても面白かったです。   3)みなさんと仲良くしよ。   4) シカゴの隣のビーチ   5) 個人学習プロジェクトの計画            a. バブル崩壊   b. 日本近代の大きい事件について興味があるからです。   c.    バブル崩壊はどんな事件とその影響、それから学べることを分かりたい。   d. 論文からの資料とデータ、インタネットサッチ   e. 発表の前の週に頑張ります。   f. 楽しみにしています。

今学期のふりかえりと個人学習プロジェクトの最終報告書

          私は大学の四年間に日本語の授業を取りましたが、大学院生としてパデューに来て、やはり日本語を辞めたくない。今考えると、日本語を勉強続くのはよかった。301の内容はもう学んだことだけど、復習としても、会話の練習としても、たくさん勉強になった。特に個人学習のプロジェクトは、私にとって難しいチャレンジだった。自分が知らないことをみんなに紹介するは、日本語だけじゃなく、研究の相手や方法、発表のテクニックさえも考え必要がある。荻内先生もたくさん手伝った。いつもいつも丁寧に日本語の間違いを直させて、心強いコメントともらってほとんどにありがとうございました。一学期だけの間に、私はもっと日本語が話せる、使えるようになった気がした。            最も大事のは、みなさんと一緒に日本語で話す時の楽しさ。  個人学習プロジェクト最終報告 タイトル「 駄菓子」 起 (introduction):トピックの説明、選んだ理由  私が「駄菓子」を選んだのは、子供の時たくさん駄菓子を食べたからだ。しかし、私は中国の駄菓子を食べるだけで、日本の駄菓子を全然食べたことがなかった。だから、今回の個人学習のプロジェクトで、日本の駄菓子のことを勉強して、それから日本の駄菓子と私が食べた中国の駄菓子の共通点と違いを探す。 承 (content 1):今学期の成果(調べたこと、分かったこと、学んだこと、など)  まず、「駄菓子」の定義を調べた。「駄菓子」の「駄」は価値が低いという意味で、駄菓子はお菓子の一種類で、値段が安いという特徴がある。このような理由から、あまりお金がなくて、お菓子が好きな子供たちに大人気の商品だ。駄菓子のもう一つの特徴は、和菓子と比べるとそんなに綺麗ではないことだ。駄菓子は、最初は元禄年間(1688-1704)の大阪で、当時値段が高い砂糖の代わりに安い黒砂糖を使って作られた菓子だった。その後「駄菓子」と呼ばれるようになった。黒砂糖を使っているから、白い和菓子と比べるとそんなに綺麗ではない。  そして、たくさんの駄菓子の中で、とても有名な駄菓子を探して調べた。その一つは「ポテトフライ」だ。子供たちは特に揚げ物が好きだから、揚げた...

食べ物の思い出

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            私は15歳のごろ、母は学者として「オクラホマ州立大学」に訪問した。父と母はずっとアメリカの教育がいいって聞いたから、私も連れて行かせた。しかし、オクラホマ州にいた一年間は私にとってとても辛かった。その時は英語がうまく話せなかったが、性格もとても内向的な高校一年生の私は何も嬉しいことがなかった。           暗い生活の中にただ一つの慰めはカフェテリアの「corn dog」ーーアメリカンドッグだった。他の食べ物は全部嫌いだったが、それだけは嫌いじゃなかった。ソーセージの表面に甘くて柔らかい衣が被って、マスタードをつけて食べると一日の不愉快を治せるようだ。しかし、朝だけ売ってるのはとても残念だった。 アメリカンドッグ           私はその一年後家に帰った。中国の高校に行って、後はまだアメリカに留学した。その一年のような気持ちは二度としなかった。アメリカンドッグもそれからは一度も食べたこともなかった。今思えばそんなに美味しい食べ物ではないけど、その時の私は力をたくさんくれた。